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エドワード・ノートン (登山家) : ミニ英和和英辞書
エドワード・ノートン (登山家)[いえ, け]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
登山 : [とざん]
  1. (n,vs) mountain climbing 
登山家 : [とざんか]
 【名詞】 1. mountain climber 2. mountaineer
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山家 : [やんべ, やまが]
 (n) mountain villa
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

エドワード・ノートン (登山家) : ウィキペディア日本語版
エドワード・ノートン (登山家)[いえ, け]

エドワード・フェリックス・ノートン(, , 、1884年2月21日 - 1954年11月3日)は、イギリス登山家陸軍将校チャーターハウス・スクール王立陸軍士官学校で学び、インド砲兵部隊に加わり、第一次世界大戦に従軍した。ノートンは、祖父で登山家のアルフレッド・ウィルスからアルプス登山を教わった。
ノートンの経験は、イギリスの1922年、1924年のエベレスト遠征隊への参加につながる。ノートンは1922年にジョージ・マロリーハワード・サマヴェルと共に酸素ボンベを使わずに、当時の人類の最高到達高度となる8225mまで達した〔池田常道『現代ヒマラヤ登攀史』(山と渓谷社,2015年)〕。1924年には途中で動けなくなったサマヴェルを残し、一人で北壁をトラバースしてグレート・クーロワールに達し、無酸素で標高8572mまで到達した〔。この標高は、1952年にスイス隊が破るまで28年にわたって登山家が到達した最高地点となった〔。またラインホルト・メスナーペーター・ハーベラーが1978年にエベレスト無酸素登頂を達成するまで、54年間に渡って登山家が無酸素で到達した最高地点であった〔『孤独の山』(山と渓谷社,1998年) 解説「ヒマラヤクライミングの進展」 〕。ノートンが引き返した4日後に、マロリーとアーヴィンが頂上に向けて出発したが行方不明となった。
1924年の遠征では途中でチャールズ・グランヴィル・ブルース准将が病に倒れため、ノートンは隊長を引き継いた。ノートンは、マロリーとアーヴィンが行方不明になった直後に事件にうまく対処したことで賞賛された。
1930年代にはインドとイングランドの幕僚大学で働き、英国陸軍砲兵隊司令官、のちにマドラス地区司令官となった。1940年から1941年にかけて香港総督代行、最高司令官。1942年に引退した。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドワード・ノートン (登山家)」の詳細全文を読む




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